少々時期を過ぎた気がしますが花粉のおはなし。
私も花粉症なのですが、2月が一番辛いです。
本当にどうしようもないくらい辛かった。
薬飲んでいるのに辛かった。
でも、2月ってスギ花粉なんですかね?
私は未だに自分の花粉の種類がわかりませぬ。
〈Attention〉
当作品はフィクションです。
無断転載はおやめください。
『花粉の苦悩』
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自然と身についているものだから気付かないうちに発しているのが方言。
そして、簡単に出身地が特定できてしまうのが方言。
所謂関西弁(厳密にはそう一括りにできるものではなく府県によって違いがあるようですが)、熊本弁、津軽弁などのわかりやすい方言以外にも方言はたくさんありますよね。
一見方言のないと思われる地方にもしっかり残ってたりします。
例えば、私の住む地方では「飛ぶ」という方言が70を超えた方々に残っています。
意味は「run」
多分若年層は使わない……はず。
ついでに補足しておくと、方言があることを意識されない我が地方でも語尾などにしっかりと方言が残っているようです。
イントネーションは標準語に近いですが、語尾に「~よ」「~け」「~べ」などが付きます。
とにかく口が悪いのが私の地方の方言の特色。
話を戻すと、語尾だけに僅かに方言が残り、年配の方々に単語の方言が僅かに残るだけの地方なんです。
ですから、普段は方言なんてないように聞こえているでしょう。
(たまに口が悪くなるのは半分わざと、半分無意識の方言だったり……)
そんな私ですが、先日メールで北方に在住の方とやり取りしていました。
お互い普通に標準語を使っていたわけですが(多分、多分標準語が使えているはず……!)
そんななか、相手の方から「仕事が終わって、家に飛んで帰れたらいいのに」のような内容の話がありました。(内容は少々ぼかしてありますが)
私は「仕事が終わって走って帰りたい」という意味に捉えまして、
仕事終わりに走りたくなるくらい帰りたかったんだなー、と勝手に解釈していました。
しかしまあ、よく考えてみれば「飛ぶ」って普通は「fly」を意味するんですよね。
だから正しくは「飛んで帰れたら楽なのに」という意味だった様です。(ものすごく意訳ですが)
どうりでその後の会話が若干すれ違っていたわけだ。
と、無意識に方言て身についているようです。
いわゆる標準語とて、もとは東京山の手ではなされていた、言い換えれば東京の方言をもとにつくられているんですよね。
一応の標準語を作ってコミュニケーションが阻害されないようになっているわけですが。
ふとした拍子に出てくる無意識の方言が厄介な仕事をすることも多々あります。
言葉が生き物に例えられる理由がわかる気がします。
久し振りに小説を書いたので更新。
今回は初めてのシリーズものです。
多分意味不明なところが多いでしょうが、雰囲気小説が好きなもので……
のちのち設定紹介をしそうな予感……
〈Attention〉
当作品はフィクションです。
暴力、流血描写等があります。苦手な方はご注意ください。
無断転載はおやめください。
お題をお借りしています:
Silence
『七つの海と孤高の海賊』 1,愛したのは殺人鬼
外見と内面――
人が他人を評価する際に使用するのは大きく分けてこのふたつではないでしょうか。
自分自身に自己決定権、自分の生き方や生活ひいては趣味嗜好に口出しされない権利があるように、他人にも等しくその権利がありますよね。
言い換えると、自分で決定した趣味嗜好について好き自由に評価する権利を他人は持っているわけです。
評価することだって、自己決定に基づくものですから。
勿論、その評価に基づいて他人をけなすのはいいこととは思いませんが、すくなくとも評価に基づいて好き嫌いを決めることについては悪いことではありませんよね。
そこで、今回話題にあげたいのが冒頭に少し上げたように外見と内面。
人を判断するうえで重要な要素です。
人によってどちらに重きを置くかは違うと思います。
しかし、どちらも重要な要素であり、決しておろそかにできない要素です。
いくら中身重視といえ、外見があまりにも頓着のない人に好意を抱く人は少ないのではないでしょうか。
(少なくとも清潔的な見た目でいて欲しいと思う時点で外見について十分重視していると言えると思いますよ)
また、いくら面食いであっても人として最低限の礼儀のなってない人とお近づきになりたいと思う人は少ないのではないでしょうか。
(遠くから眺めていればいいかなあと思います、私は)
結局のところ、人は外見も内面も重視しているわけですよね。
好みの差はあれど、どちらも評価対象としているわけです。
しかし、外見と内面というようにきっぱり二つの要素に分けることってできるのでしょうか。
私は、外見、内面が相互に影響し合っていると思います。
内面が綺麗な人は外見においても、そう言った雰囲気が出てくる。
逆に内面に難のある人は所作ががさつだったりと外見において出てくる。
私はそう思います。
内面の要素が外に出てきたもの、それが雰囲気ではないかと。
プライドの高い人はそれが雰囲気にありありとでるし、引っ込み思案な人は振る舞いとは別に纏う空気にその要素がでると思います。
外見でいかに取り繕おうと纏う雰囲気まで変えるのは至難の技かと。
勿論、人によっては完璧に纏う空気が変わる人もいるので、内面を空気に出さない技術ていうのもあるのでしょうが。
それには結構神経を使うようですし、持って生まれ雰囲気から180度変えることはできないようです。
結局のところ、多くの人外見において内面を評価しているのかもしれません。
纏う雰囲気ににじみ出たその人の内面を評価して、好みに合うか、馬が合うかを評価しているのでは。
つまり、冒頭であげた外見と内面の区別ってあまり意味がないのですよね。
両方評価されているわけですから。
そう考えると、人と接する際、外見、内面ともに気を使うべきなのではと思います。
綺麗に着飾るだけじゃない、少し思いやりの気持ちを持ってみる。
色あせたり型崩れした服を着ない。
など。これって基本的な思いやりだと思います。
特に趣味の世界ではこの基本的なことをおろそかにする人が少なくない気がしますね。
勿論、趣味の内容についてはとやかく言いませんよ。
かくいう私も所謂サブカルチャーと呼ばれる趣味がありますし、大多数に認められないマイノリティーの立場に分類されることもあります。
それについて否定していたらキリがないし、それこそ自己決定権に反するのでは。
しかし、イベント的なものになるとその楽しさでこの基本的な思いやりを忘れる人、多いですよね。
ライブだったり、イベントだったりのあと、公共の場に戻った時の態度。
楽しいのはわかります。楽しいですもの。
ですが、服装やメイクだったり、他の人に対する配慮は忘れないで頂きたいですね。
TPO……とでも言いましょうか。
肯定的な立場の人間がいれば必ず否定的な人間がいることをお忘れなく。
偏見のない、嫌いなもののない人なんていないのですから。
内面、外見どちらにも気を使える、思いやりをもった人になりたいものです。
また、そういう方が増えてもらいたい。
そうなれば、マナー違反も少なくなるのではないでしょうか。
最近のマナーについて、自己啓発に。
お酒が好きです。
お酒が結構好きです。
お酒が相当好きです。
昨日は飲み会でした。
久し振りにお酒を飲みましたね。
私は酎ハイよりもカクテル、ビールの方が好きです。
強い酒が好きです。
ペース早く飲んでしまいます。
お酒は少量なら薬、多量に飲むと毒と聞きますね。
表裏一体とはよく言ったものです。
ですが…果たして居酒屋で飲んだり、缶で売っているお酒は薬なのだろうか。
疑問ではあります。
まあ、酒に含まれる物質が身体に影響を与えるみたいですね。そう考えると確かに薬にもなり得るのか。
そんな薬を一気に多量に摂取する飲み会は果たして良いのだろうか…もはや毒にしかならない気もする。
しかし毒と言うのは常習性がありますよね。
だからこそアルコール中毒なるモノがあるのかな。
常習性と中毒性
アルコールの怖さですよね。
それを分かっていながら飲むのがお酒。
「お酒は楽しく程々に」というの標語を守りたいものです。