外見と内面――
人が他人を評価する際に使用するのは大きく分けてこのふたつではないでしょうか。
自分自身に自己決定権、自分の生き方や生活ひいては趣味嗜好に口出しされない権利があるように、他人にも等しくその権利がありますよね。
言い換えると、自分で決定した趣味嗜好について好き自由に評価する権利を他人は持っているわけです。
評価することだって、自己決定に基づくものですから。
勿論、その評価に基づいて他人をけなすのはいいこととは思いませんが、すくなくとも評価に基づいて好き嫌いを決めることについては悪いことではありませんよね。
そこで、今回話題にあげたいのが冒頭に少し上げたように外見と内面。
人を判断するうえで重要な要素です。
人によってどちらに重きを置くかは違うと思います。
しかし、どちらも重要な要素であり、決しておろそかにできない要素です。
いくら中身重視といえ、外見があまりにも頓着のない人に好意を抱く人は少ないのではないでしょうか。
(少なくとも清潔的な見た目でいて欲しいと思う時点で外見について十分重視していると言えると思いますよ)
また、いくら面食いであっても人として最低限の礼儀のなってない人とお近づきになりたいと思う人は少ないのではないでしょうか。
(遠くから眺めていればいいかなあと思います、私は)
結局のところ、人は外見も内面も重視しているわけですよね。
好みの差はあれど、どちらも評価対象としているわけです。
しかし、外見と内面というようにきっぱり二つの要素に分けることってできるのでしょうか。
私は、外見、内面が相互に影響し合っていると思います。
内面が綺麗な人は外見においても、そう言った雰囲気が出てくる。
逆に内面に難のある人は所作ががさつだったりと外見において出てくる。
私はそう思います。
内面の要素が外に出てきたもの、それが雰囲気ではないかと。
プライドの高い人はそれが雰囲気にありありとでるし、引っ込み思案な人は振る舞いとは別に纏う空気にその要素がでると思います。
外見でいかに取り繕おうと纏う雰囲気まで変えるのは至難の技かと。
勿論、人によっては完璧に纏う空気が変わる人もいるので、内面を空気に出さない技術ていうのもあるのでしょうが。
それには結構神経を使うようですし、持って生まれ雰囲気から180度変えることはできないようです。
結局のところ、多くの人外見において内面を評価しているのかもしれません。
纏う雰囲気ににじみ出たその人の内面を評価して、好みに合うか、馬が合うかを評価しているのでは。
つまり、冒頭であげた外見と内面の区別ってあまり意味がないのですよね。
両方評価されているわけですから。
そう考えると、人と接する際、外見、内面ともに気を使うべきなのではと思います。
綺麗に着飾るだけじゃない、少し思いやりの気持ちを持ってみる。
色あせたり型崩れした服を着ない。
など。これって基本的な思いやりだと思います。
特に趣味の世界ではこの基本的なことをおろそかにする人が少なくない気がしますね。
勿論、趣味の内容についてはとやかく言いませんよ。
かくいう私も所謂サブカルチャーと呼ばれる趣味がありますし、大多数に認められないマイノリティーの立場に分類されることもあります。
それについて否定していたらキリがないし、それこそ自己決定権に反するのでは。
しかし、イベント的なものになるとその楽しさでこの基本的な思いやりを忘れる人、多いですよね。
ライブだったり、イベントだったりのあと、公共の場に戻った時の態度。
楽しいのはわかります。楽しいですもの。
ですが、服装やメイクだったり、他の人に対する配慮は忘れないで頂きたいですね。
TPO……とでも言いましょうか。
肯定的な立場の人間がいれば必ず否定的な人間がいることをお忘れなく。
偏見のない、嫌いなもののない人なんていないのですから。
内面、外見どちらにも気を使える、思いやりをもった人になりたいものです。
また、そういう方が増えてもらいたい。
そうなれば、マナー違反も少なくなるのではないでしょうか。
最近のマナーについて、自己啓発に。

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